2月26日は母の膵臓癌がわかった日。あれからいろんなことが変わっていって

家族への想い

2月26日は、母の膵臓癌がわかった日。

はっきり日にちを覚えているというのも不思議な気がする。

父の時は、あんまり覚えてない

 

まずは詳しい検査のための入院

膵臓癌がわかってすぐに入院して、その時点ではすごく元気だったんですよ。

少し痩せたかな?でも、体が軽くなったので良い感じ・・・とか言ってた。

入院が決まってすぐに検査が始まって、肝臓に転移してたから手術も不可能で、ステージは最悪の4bという結果でした。

それから、1週間くらい入院した後、治療するなら私たちが住んでる奈良の病院を探した方がいいだろうということで、退院して自宅に戻りました。

自宅はもう父は亡くなっていたので、一人暮らしになるから大丈夫?って聞いたんだけど、大丈夫だよと言ってた。

そして、それから多分10日後くらいだったかな。

 

奈良の病院が決まって、入院・治療が始まりました。

80歳という年齢だけど、体力がありそうなので、抗がん剤をしてみることになりました。

あの頃、あまり考えずに抗がん剤を受けたけど、本当に良かったんだろうか。

1度目の抗がん剤で体力が落ち、これ以上無理だからということで中止になったんです。

 

それからはみるみるうちに体力がなくなり、食事もできなくなりました。

 

そして、約2ヶ月半後痛みに耐えながら最期を迎えた

闘病生活している間、ほとんど毎日病院には通ったんですが、唯一いけなかったのが、母の日だった。

それは、本当にいまだに後悔してる。

母の日がくるたびに、「ごめんね」と謝ってる

後悔しても仕方ないとは思うんだけど、なんで行かなかったのかな。

 

その後も、みているのが辛くって、痛みに耐えてる母を見たくなくて、長い間病室にはいられなかった。

本当にどうしようもない娘です。

 

母は強い人だった

母に対しては強い人という感じでずっと見てた。

父は優しくて私は大好きだったけど、お金にちょっとルーズなところがあった。

アルコール依存症だったし、家にお金を入れないこともあった。

そんな父と何度も離婚話が出たこともあったけど、それでも最後まで添い遂げた。

父は、胃の手術をしたり、心臓が悪かったこともあったし、最後は喉頭がんで亡くなったんだけど、口では喧嘩してても最後まで、そばにいてあげたってすごいよね。

そんな状態だから、母はいつも強かった。

私はそんな母が少し苦手だった。

だから、以前の記事でも話したことがありますが、距離を置いていたところはあった。

母が病気になるなんて、病気がわかって、3ヶ月弱でさよならするなんて思っても見なかった。

でもね、母の痛みに耐えてる姿を見てると、早く父が迎えにきてくれないのかな?とも薄情に思ったこともあった。

母の辛さから早く解放してあげたいってこともあったけど、私も辛さから逃げてしまいたいと思ってたのかもしれない。

やっぱり、私って冷たいのかな?

体の丈夫なのが本当に自慢の母だっただけに、こんな形で最後を迎えるなんて本当に信じられなかった。

だから、闘病中のことも、その後のこと、お葬式や諸々のこと、ほとんど覚えてない。

 

そして、私はお腹の膨らみを感じた

ちょうど、看病をしている頃、あまりに疲れてベッドに横になった時、お腹の膨らみを感じた。

なにこれ?って

これは婦人科系だろうな?と思った

そして、母の病院へいく合間に、以前更年期の症状でお世話になった婦人科の病院へ行ったのです。

その頃、生理も不安定で、もう終わったのかも?と思うこともあって、そうなると、子宮肉腫の可能性もあると言われたのです。

そして、大きな病院でみてもらった方がいい。その前にMRIを撮ってきてと言われて手続きをしてもらったのですが、気管支喘息があるので、検査センターでは無理だと言われました。

結局、大きな病院で再度みてもらうことになり、そこで、子宮筋腫が大きくなってるので、摘出した方がいいんじゃないかという結論になったのです。

それが母の亡くなる数日前。

母がいなくなって、なんとも言えない悲しみの中、手術することにしました。

手術は無事にすみ、その後更年期障害の症状が出ることもなく、今に至ってます。

 

母のいない寂しさ

入院中、病棟の同じフロアで、隣の部屋の方のところに、毎日お母様がお見舞いにこられてました。

私は、ほとんど誰もこなくて、寂しくて、その時にも母がいてくれたら、と思ったものです。

勝手なものですよね。

あんなに苦手で、あまり自分からは会うこともなかったのに、失ってみて、そして、自分が辛い時に会いにきてほしいなんて思うなんてね。

今も、母がいてたら、いろんな話ができるのにな、、、と思ったりもします。

 

ただ、元気にいてたら、きっと喧嘩してるとは思いますが笑

 

不思議とね、父の方が仲良かったのに、父のことを思い出すよりも母のことを思い出す。

何かが起こったら、母ならなんていうんだろうなっと思ったり、母の好きな食べものをみたら、今度お墓参りに行った時には、持っていってあげようとか考えたり。

もっと仲良くしてたら良かったのにね。

夢で会う母にいっつも怒られてます。

 

離婚した私を母はどう思っているのだろうか?と思うんです。

離婚したいとだいぶ前に言ったことがあるんです。息子たちがまだ学生だった頃。

そしたら、そんな勿体無いことしたらあかん。あの家もあなたの権利があるんだから・・・って

だから、きっと財産分与もしてもらわず、離婚して両親の遺してくれたお金で暮らしてるって聞いたら怒るだろうね💦

 

そんなことを考えると、両親がいなくなって少し自由になったんじゃないかなって思うのです。

やっぱり、母が好きだったんだ。

だから離婚に踏み切れなかったんだと思う部分もあるから。わがまましてたようでも母の顔色を伺ってたんだろうなって思う。

だから、両親に感謝して、私は今を大事にして生きていきたいなと思います。

ありがとう!お父さん、お母さん。

いくつまで生きられるかわかんないけど、もっともっと幸せになります。

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