最近、いろいろ考えます。
なぜ、化学物質過敏症になってしまったのか。
以前、セッションを受けたときに聞いたことがあったんですが、
その時に言われたのが
「こうあるべきが強い人に多い」と。
ルールは大切。
でも、他人までそれを強制するのはどうかな?ってことだよね。
その時に話したのが信号無視に対する想いでした。
ある日、信号無視をした人がいたんですね。
それをみて、いつもなら、「許せない」と思っちゃうわけです。
でも、その時、「まぁ、仕方ないこともあるよね」と少し緩く思えたんです。
許せない・・・そんな強い思いが心を縛りつけてるのかもしれません。
柔軟剤についても、いろんなことが言われています。
まぁ、最近の柔軟剤って、衣類を柔らかくするだけじゃなくって、匂いが問題なんですよね。
それもいつまでも残る匂い。そして、それが人にも影響するほどの化学的なもの。
ただ、この匂いが好きな人もいる。
そこを認めることは大切じゃないかと。
宅配業者さんや、人と接する人がすごい匂いの柔軟剤をつけていたとしても、それは接客する上で汗の匂いがない方がいいという
相手のことを思ってのことかもしれない
そう考えると、他の選択肢を教えてあげるのもいいんじゃないかと思う。
なんのために柔軟剤を使っているのか?
相手の立場に立って考えることが必要なのかもしれないよね。
柔軟剤を使っている人もそう。
化学物質過敏症になって辛くなっている人に、「気のせいじゃない?」「匂いなんてなれるよ」というのはちょっと違うんじゃないかなって。
お互いに歩み寄りが必要だよね。
消臭したいなら、他には方法はあるだろうし、匂いを纏わせたいなら、ほんのり香るだけのものでいいんじゃないかな。
と思うんだよね。
ただ、あまり強い匂いがすると、どうしても避けるというか、逃げる選択をしちゃうのは事実だけどね。
やっぱり、そこは自分を守りたいっていうのはあるから。
攻撃じゃなく、共感はできなくても共存はしていけたらいいなと思うこの頃です。